2019/03/11 09:05

記念すべき、TRYPEAKSの第10回インタビューは、「キングダム 最高のチームと自分を作る」、「1分で話せ」の著者、Yahoo!アカデミアの学長等、多方面で活躍する伊藤羊一さん


そんな彼に、自分の人生を生きるに至った過程と、一歩を踏み出した瞬間を聞いた。




伊藤 羊一。日本興業銀行から2003年プラス株式会社に転じ、流通カンパニーにて物流、マーケティング、事業再編・再生に従事。2012年執行役員ヴァイスプレジデントとして、事業全般を統括。 2015年4月ヤフー株式会社に転じ、企業内大学Yahoo!アカデミア学長として、次世代リーダー育成を行う。またグロービス経営大学院で教壇に立つほか、株式会社ウェイウェイ代表として、リーダーシップ開発、様々なインキュベーションプログラムで事業開発サポートも行う。 著作「1分で話せ(SBクリエイティブ)「キングダム 最高のチームと自分を作る(かんき出版)」


自分の本質を探した過去


-昔はどういう子供だったんですか?

「小学校の時にいじめられっ子のヒーローだったんですよね。基本的には自分の意見を持たずに周りに同調する子供だったけど、いじめるとかいじめないとか、すごいとかすごくないとか、そういうのがすごく嫌だったんですよ。純粋にフラットでいたいというのが強かったですね。当時、勉強もスポーツもできて無敵だったので、それをいじめっ子を救うことに使っていました。


-無敵ですね笑。経歴としてもキラキラですよね。

「いや、高校・大学・社会人はモヤモヤしてただけなんですね。尾崎豊の”シェリー”みたいに”俺はうまく歌えているか”とか”俺はうまく笑えているか”とか、そんな問答を繰り返していました。自分自身にとってはコンプレックスを助長する経歴になっていて。麻布高校に行くとすごい奴がいっぱいいる、東大行ってもっとすごくなる、興銀ではさらに体育会的みたいな人ばっかりになるまで入ってくる。どんどん自己肯定感自尊心が弱まっていったんです。周りからは経歴を見て賞賛される。でもそれが自分にとってどうでもいいものであることかはわかっていたので、最終的には社会人で鬱になって。


「承認されることはそんなに求めていなくて、どちらかと言うとレッテルで評価しようとするところに対してアンチテーゼが強くなりました。当時本質的な自分の価値がわかっていればよかったんだけど、それがわからない。わからないので内面を突っ込まれると恥ずかしかった。」


-それでどうしたんですか?

「一度自分との問答をやめて、仕事にのめり込んだ。会社の言われたこと(Must)をやりながら、できること(can)を増やしていきました。自分がどうありたいか・何を成したい(will)とかは全く考えませんでした。」



自分のwillを少しづつ動かした3つの震災


-別の記事で、震災が大きな転機だったと拝見しました。

「そうです。最初は阪神大震災。当事僕は興銀に勤めており、東京で営業担当をしていました。ニュースを見て、何かしなければならないのではないか?とふと思ったが、何もせず、ぼーっとしていた。そんな時、ダイエーの中内さんが”可能な限り早く日常に戻す”と、翌日から店舗を開け、色々な手を駆使して通常営業に奔走していたのをテレビで見ていて、すごく印象的でした。中内さんの考えのベースにあるものが何か、というのが、何となくよく分からず。でも、心の中に残り続けた。」


-その時は特に何かしたと言うわけではないのですね。

「ええ、次に2014年に新潟の中越地震。その時は会社を移っていて、プラスの物流カンパニーで仕事をしていたので、阪神大震災の時のことを思い出したんですね。ただ、何かしたいと思っても、それでも会社にはたらきかけることはとして何もせずやらなかったので、淡々と仕事をしていました。でも、その時に急に焦りや後悔が出てきたんですよね。」


-何か阪神大震災との違いはあったのでしょうか。

「ものすごい焦りと、後からものすごい後悔が自分を襲った。なんで自分は何もしないで、淡々としているんだろうと。それでいいんだろうかと。阪神大震災のときとくらべ、物流担当であったし、なら何かできるはずなのに、何もしないでよかったのかと。正直、自分がもの凄く情けなかったそこから先、中内さんのあの時のエネルギーは何なんだろう、という思いと、新潟中越地震で”何もできなかった”、という思いがずっと残っていました。」


「それ以降、もう絶対後悔したくないと思い、積極的に仕事のトラブルがあった際の陣頭指揮をとるようになりました。雪や台風、地震といった天災、高速道路の土砂崩れ、システムトラブルなどなど、様々な事態が起きれば、積極的に自分から動きました。」


-後悔が残ったんですね。東日本大震災が起きた時はどうでしたか。

「ダイエーの中内さんのことを思い出して”ざわざわした”。阪神大震災の時、彼はしょっぱなから動いていたなと。中越地震以降、色々な災害対応をしていたので体が動くようになっていたこともあり、会社のやることをやるのではなく、自分のやりたいことに忠実にやるべきだと言う思いが湧き出てきた。前回のやらないことへの後悔が分かっていたからこそ、この時は自分の意思で動けた。


やってみることで色々わかったこともある。物流の復旧をするにも、リソースは限られているから、AかBかどちらかをとる意思決定の選択をしなければいけない。災害時の意思決定はメリットデメリットを整理したところで”正解”がわかるわけでもなくきれないため、意思決定するためには、自分の信念が大事なことに気づきました。例えば、一週間に一度入荷した来た水や電池をどこのお客さんに優先するのかというと、先着で注文が来てようとも、東北以外のお客様は一度全部断ったり。これらは全て自分の信念を元に決断していった。青臭いですが、こういったものは熱い気持ちでやらないとうまくいかないことも気づきました。」


阪神大震災の中内さんは、こういうことを思い、やっていたんだ、というのが、はっきりとイメージできた。10数年たってようやく理解しできました。中内さんの言葉を10数年考え続けたり、中越地震でものすごい後悔に襲われたり、そこから働いて色々なことができるようになったりしてきましたが、振り返ると、中内さんの言葉はMustとして自分の中にあって、中越地震の時には、自分が何をしたいかというwillの話、そこから仕事で色々な災害対応をしてきたというのはCanの話。そういうことが積み上がって、東日本大震災の動きにつながっていきました。」


-東日本大震災で変わったことは。

「人の熱い気持ちが重要なんだということ。思ったら動くこと。動かないと必ず後悔するということ。そして、経験をし続けることが大事なこと。毎年、3月11日を機に、この震災に学びます。色んな人が、色んなことを感じ、学びとり、様々な形で未来に活かして行く。僕も、僕にできることをしていこうと。






-今のwillはなんでしょうか?

「苦しんでいる人を見たくない。みんな笑顔だったらいいよね。周りが笑顔であってほしいと言う思いが強い。あと、ミュージシャンになりたい自分がいます。」


「楽器をやっているわけでも、バンドをやっているわけでもないが、講演会で観客席に向かってハロー東京!って言っている。本を出した時にこれはアルバム音楽じゃんと思った。本はアルバムで、講演はツアー。今もロッキンオンの取材を受けている感じ。だから楽しい。自分を表現しながらも、それでどれくらいの人が喜んでくれるかを大事にしていきたい。今でも、そんな生き方をしていた、フレディーマーキュリーになりたいって思う。」



一歩を踏み出そうとしている人へ


-「自分らしく生きるために。will / can / mustとどう向き合うべきか。

まずこれは行き来はするもの。一般的にwillが大事だけど、自分にとっては社会が求められているMustが強かったし、それによってできるCanがふえて、結果willができることになった。」


「ざわざわしたら突っ込んでみる。willはそんな簡単には出てこないから、ざわざわして迷ったらワイルドな方へ踏み込む。踏み込んでみて経験すると、気持ちよかった・気持ちよくなかったが分かってくる。そのタイミングでまだwillはわからないかもしれない。でも、踏み出して経験していると、次回ざわっとした際に感じ取る度合いが高まる。」


-ざわつきを捉えるためには?

「会社員は自分のことをさほど考えなくても生きていける済むので、自分のセンサーが弱くなる。一方で、自分の足で立っているとセンサーが鋭敏になるから、ざわざわに気づくようになる。まずは本能に気づくようにする。本能に気づけるようになったら、世の中を見渡す。見渡してみて機会があったら、色々経験してみる。やりたいやりたくないの前にやってみる。そうすればよりざわつきを捉えるようになれると思います。」