2018/11/04 23:26
・心を亡くしたマシーン ・故登山家:栗城史多さんとの出会い 2017年秋に友人の引き合わせで故栗城史多さんの話を聞く機会がありました。彼はエベレストに無酸素で登頂し続ける姿を、生中継で配信し、”否定という壁をなくす”ことをミッションとして、強烈な閃光を放って生きていました。 自分の人生が、そのまま誰かの心に火を灯し、その誰かのフィードバックをもらって自分の挑戦がさらに豊かなものになるというような生き様が美しく、私は全身に電気ショックを食らったような感覚を覚えました。何を思ったか、登山歴がないにも関わらず、私はその日にアフリカ最高峰のキリマンジャロ登山に申し込んでいました。 ・極限状態で拾った絶対価値観 この時に、自分の人生がガラッと変わった感覚を覚えました。頂上に到達したいのではなく、頂上に向かい一歩踏み出していたいのだと。 ・本当にやりたかったこと 人は誰もが何らかの山(夢や目標)を登っています。山に大小関係なく美しいように、個々が持つそれぞれの山は優劣なく一様に美しく、その人の人生の大事なストーリーになっています。 ・思いがビールへ憑依 無事登頂を果たして下山をしている途中、私は自分のやりたい世界に近づける生き方をすると決めて降りてきました。そこで決めたのは、会社を辞めること、何か新しいことを自分で始めることでした。 決意を固めた麓で、キリマンジャロビールを振舞われました。一緒に登ったガイド・コック・ポーター・仲間と乾杯をした時、登山のみならず、これまでの葛藤や体験が、カセットテープを再生するように戻ってきて、それぞれのストーリーを全員で話し始め、互いに繋がっていきました。この時に直感で、”あぁ、この世界をビールで作れってことかと思って具体的にイメージしていくようになりました。
これまでの自分は、日本有数のメガベンチャーで事業開発をしたり、アメリカの外資系IT企業の日本法人を立ち上げたりしていました。その中で、いかに会社を大きくさせるか、数字を伸ばすか、成果を出すか、ライバルに勝つか・・というような競争を繰り返し、さもそれが正しいことであり全てという風に思い込んでいました。
まずは会社の人格に憑依して、成果をだすことに慣れすぎていて、本心がどこにあるのかが全くわからなくなっていましたし、何より自分がそういう状態だという意識さえありませんでした。
準備なしで登ったキリマンジャロで、私は4700mのベースキャンプで酸欠になっていて、体を起こすだけで頭が痛く、息が切れるので近くのトイレにいくことさえも悩む状態でした。目の前が真っ暗になって、極限まで何も考えられない状況で残った最後に残った感情は、”もう一歩先へ行きたい”という好奇心でした。
山に向かうことは本当に辛いことで、時に理不尽で不条理だったり、批判されたり、バカにされたりすることがあります。ただ、そんな中でも、一歩を力強く踏み出し、着実に前を向いて進んでいる人が数多くいます。
そして、そういった人が向かう先にある景色は、どんな時も、成功や失敗を超えた、心の繋がる信じあう世界でした。私は、この瞬間を応援し、色々な人に共有したい。